涙半分・・無計画な八ケ岳・山行き記録

八ケ岳に行った・・・初めてである・・・・
しかも、初めはここへ行く予定など無かったのである・・・
ただ単に写真を撮ろうと考え、信州方面へ北上していたのである・・・
中央自動車道茅野ICまできた、・・・さて何処へ行こうか・・・・
次の諏訪南ICで高速を降りてみよう・・・
そうか、八ケ岳はここから近いんだ。
しかし、すぐ近くのはずなのにガスがかかっていて八ケ岳の山麓部分しか見えていない、
しかしまあここまで来たんだから少し近くまで行ってみよう!
そして、美濃戸口へ・・・
駐車場付近は雪・・・これじゃあ写真どころじゃないよな・・・
でも、折角ここまで来たんだから少し歩いてみようかな・・・
車のトランクに忍ばせておいたザックを背負い、重登山靴に履き替えて・・・
冬用ジャケットとオ−バ−パンツもあるし、アイゼン・ピッケル・・
そして、わずかながら行動食とフリ−ズドライ食品も携帯した・・・
一応の冬山は対応できる(とこの時は思っていた)
そして、駐車場の管理人のおばちゃんに、日帰りですから・・・と500円を支払い
登山道を歩きはじめた・・・
さて涙半分・・嬉し恥ずかしの冬の八ケ岳登山の始まり始まり・・・・!!



これは帰り際に撮った八ケ岳全貌です。晴れているように見えますが
赤岳の山頂だけはきっちりガスっています



2002年2月10日午前11時
天候;曇時々雪、気温−3度、山麓は風もなく穏やかだが、雲行きが怪しい・・・この時間から山に入るのはちょっと遅すぎるかな・・しかし、同じように入山するパ−ティ−も多いしきっと何とかなるんだろう・・・まあ、日帰りで帰ってくるだけだし、別に何ともないか・・・と意気揚々と歩きつずける。そして、1時間弱で美濃戸山荘に到着。ここからが、本当の登山道のようだ。左に道なりに行くと北沢、右の突堤を越えてゆくと南沢か・・・針葉樹に降り積もった雪が奇麗だ。もう少し歩いてみるか・・・傾斜はさほどきつくなく、新雪が適度に踏み固められて、きゅっきゅっと鳴いているようで気持ちがい〜い、冬の登山の楽しみでもある。さてさて、どこまで行けばいいんだろう・・・道の横を流れる沢は所々雪が切れて、小川のせせらぎが見える・・・気持ちいいな〜、などと、すがすがしい気持ち半分、ほとんど頭は空白となり黙々と歩き続ける・・・・ずいぶん登ってきたな・・・行けども行けども美しい雪景色が続いている。2回の休憩を挟んで、しかも、写真を撮ることも忘れて(お世辞にもいい天気ではなく、コントラストも無い景色だったので・・・)そして、急斜面をひと登りして、やや水平に斜度を変えて、抜けでたところが、赤岳鉱泉だった。立派なつくりの小屋である。沢山の登山者が行き交う、社交場のような賑やかさである。(冬山といっても八ケ岳は比較的アプロ−チが簡単なため、雪の季節も特に人気があるらしい、本当に大勢の人々が集まっている)小屋の軒でおでんを売っている、従業員さんに、この先はどうなっているんですか・・・と尋ねてみる。少し登ると行者小屋ですよ・・・今日は空いているんじゃないですか・・・(非常に礼儀正しく、テキパキとしたしゃべり方である。)そうか、有名な行者小屋はもうすぐなのか、地図上でも30分ほどである。・・・行ってみるか!!!そして冬山登山は更に続く・・・
そして、行き着いたのはあたり一面新雪に覆われた、行者小屋とテント場であった・・とうとう来てしまった・・・しかし・・・・時間は午後3時・・・・今から下山するなんて・・・う〜〜〜〜んどうするどうする・・・・・やっぱり泊まってくしかないでしょ!!折角来たんだから・・・いつもはテントを担いでいるため、楽して登ってきたな〜と実感した。今回が2回目の山小屋泊だ・・・外の気温は氷点下8度・・・しかし小屋の中は別世界!あったかい!!早速、小屋従業員さんに宿泊の申し込みをした。”今日は、混んでますか・・・?””きのうは一杯だったけど、今日は空いてますよ・・・””よかった、窮屈なのは苦手なので・・””Gの部屋になります”愛想よく接してくれる従業員さんばかりで気持ちのいい小屋である。荷物を下ろし、周囲を見渡して・・・と言っても、雪で視界は悪い。


行者小屋のテント場風景
気温は午後3時なのに氷点下8度くらい・・・これでも暖かいほうなのだ・・という。早朝は氷点下20度くらいか!(寒いときは-28度にも下がるのだと・・)ここでのテント泊は勇気がいるな〜
しかし、若い女性も多くみんな元気である。
苦労を楽しむ人たちが多いのである。ここ八ケ岳はアイスクライミングも有名である、多くの人がいわゆるクライミングスタイルを決めている。チョック・ナッツ・グロメット・カムを腰にぶら下げ、さらにアイスバイル!ダブルアックス・・・カッコイイのである!


何処の小屋にも歴史を感じさせる看板をどうだっ・・とばかりに掲げている。
幾年かの風雪に耐えた看板は、あらゆる出来事(楽しいことも、悲しい出来事も・・)を見続けて来たのだろう。何となく、勇気を与えられるようだ。
【涙の理由:その1】
今日は小屋泊まりだが、素泊まりでお願いします!と、申し込んだのだ。インスタントラ−メンやフリ−ズドライなどの食料もあるので、夕食は自炊なのだ。そして、夕方5時となりそろそろ、食事の支度でもしようかな・・・と思い、ザックから食料の入った袋とコッフェルをとりだし、スノ−ピ−クギガパワ−のガスボンベをとりだした。そして、バ−ナ−わっ・・・と・・・・えっ・・・・どこどこ???バ−ナ−さんは何処ですか・・・とザックを全てひっくり返して探しみたが・・・・ひょっとして???忘れた???やばいよ−・・・急に悲しくて涙が・・・出てきたのはいうまでもない。小屋泊まりなので、食事を頼めばいいし、食べ物は何とかなるのだが・・・あまりにも愚かで悲しすぎる。もしこれが本当にテント泊で周りに何も無い状況だったら・・・一体どうしていただろう。自分のふがいなさにいらだちを覚えてしまった。ギガパワ−バ−ナ−の軽さは持っているのを忘れるくらい・・・と言うキャッチフレ−ズケあるが、本当にもってくるのを忘れてしまった!(ショックである)そして、小屋の従業員さんに”さっきは素泊まりと言ったんですが、折角だから(顔はきっちり引きつりながら・・・)(^_^;)、夕食の追加お願いします、朝ご飯はいいですから(意地でも携帯食を食べようと朝はお湯をもらってフリ−ズドライ食品を食べようと企てたのだ〜)(^_^)”そんなこんなで何とか夕食にありつき、となりの布団の人たち(関東方面の人たちがほとんどだ)と8時半頃まで八ケ岳のことや北アルプス・栃木県や山梨県・丹沢・などの関東周辺の山の話を聞きながら、談笑を楽しんだ。小屋泊まりのいいところだな−しかも、この小屋には豆炭をたいた”こたつ”があって最高です。そのこたつに足を突っ込みながら・・”何処のコ−スがいいんですか?””初めての八ケ岳で、こんな天気ですから、よくわかんないんですけど・・””私は、阿弥蛇から赤岳〜地蔵からおりる予定だけど”などとアドバイスを受ける。そして、梅酒をちびちびとやりながら、徐々に睡魔がやって来る。布団は1人一つづつ!毛布も2枚づつ割り当てられ広々としている。外は氷点下18度くらいだそうだ・・テントは寒いだろうな〜などと考えながら、下界では考えられ無いくらい、スム−スに眠りについてしまった。・・ヤマや恒例の大いびきに悩まされることもなく・・・
【涙の理由:その2】
日付は変わって2月11日午前4時起床。外は相変わらずガスっている。こんな天気じゃ、写真は愚か景色なんて何も見えやしない。もう一眠りするか・・・などと、日常の怠惰な生活と変わらない。隣りのヤマやさんも起きて準備はしているが、一向に出かける気配もない。初めての八ケ岳だし、こういうときは、人が出かけた後に同じル−トをたどるのが無難・・・5時になってみんな朝食の時間となった。さてと、小屋の方にお湯を分けてもらおうか・・・フリ−ズドライ食(某Le・・・のビ−フカレ−ライス・・)を取りだし、分けてもらったお湯を注ぐ。これで、15分位ほかっておけばでき上がるだろう・・・いつも、こういう食べ物を持ってくるときには下界で予め味見をして食べれそうかどうか、美味しいかどうか確認してくるんだけど、今回は急遽買ったものだけにこの作業は行なっていない(もう何を言おうかおわかりの諸兄もいると思いますが・・)15分経って、さて、朝食にするか・・・と口に含んでみると・・・・なんだこりゃ!カレ−ライス?そんな味がしないよ?カレ−味のチャ−ハンにお湯をかけたような・・・というのが正しい表現か!前に食べた某ジフィ−・・・のビ−フカレ−の方がもっとそれらしい味がしたぞ、怒りと同時に、涙に変わる・・・これが涙の第二幕なのだ・・・まあ、おいしいものではないだろうと思ってはいたが、あまりにも悲しすぎる。かといって、今から別の食べ物を作るのも時間の無駄だし。まあ、しょうがないか・・と意地になって駆け込んでしまった。とりあえずは行動するだけのカロリ−は補給しよう・・とバランスデイトバナナビタ−をかじる。そして、昨晩色々なアドバイスをしてもらった方と共に行動することとなり、スパッツ、アイゼンを装備しザックを背負う。さて・・・と思った矢先、いつもヤマでは朝糞(失礼!!)をすることはほとんど無いのだが、今日に限ってムズムズ・・・と催してきた。すみません、急にトイレに行きたくなって・・・と装備したスパッツ、アイゼンをはずしトイレへ・・・大変申し訳ないことをしてしまったような気がして・・・(これが涙の第3幕)
ようやく身支度を整え、いざ出発。
なんやかんやすったもんだの揚げ句午前8時ようやく歩きはじめる。文三郎道を少し進み、途中で道を右に分け、阿弥蛇岳へと歩を進める。メインル−トは文三郎道らしく、徐々にトレ−スが少なくなってくる、まあ、鞍部は見えているし道に迷うことはなさそうだ。しかし、トレ−スは消えかかり徐々にラッセルに変わる。と言ってもひざまで潜ることもない。1時間くらいで鞍部に出たが、昨晩からの雪が30cm以上積もり、阿弥蛇岳への急登はトレ−スは全く無い。どうしますか?などと、パ−トナ−の方と相談し、行けるところまで行ってみよう!と相成り、少しずつ登りはじめる。雪庇も判別しづらく、本当にゆっくりと・・・時折、降り積もった雪が足下からざざっ−と滑り落ちる。結構やばいですかね-・・・でも行けるところまで行ってみましょう(これが一般的な登山者の遭難パタ−ンでしょうか?)どんどん、登り少し斜度も緩くなり、山頂が時折ガスの切れ間から望めるようになる。もう少しですね・・(結局登っているんじゃないか〜身の程知らずめ!)と半分反省しながら・・・そして、途中で学連風のアンザイレンした4人パ−ティ−が下ってきた。もう少しで山頂です・・・トレ−スしっかり付けてきましたから・ここでトレ−ス交換ですね・・・と声を掛けあいながらすれ違う。お互いの無事を祈りながら(大げさ!!)そして、一瞬雲が切れ阿弥蛇山頂の全貌が姿をみせる。そして、山頂到達!(^◇^)



今回、同行していただいた田沼氏です。本当に色々とご迷惑をおかけしました。この後、阿弥蛇岳を下り中岳への稜線へと進み、氏と文三郎道分岐で別れる。氏は・・赤岳は前にも上ったことがあるし、こんな天気だから、下山するとのこと、滅多に来れないので、私はこのまま赤岳へと進むのである。赤岳山頂は時折ガスの切れ目から姿を現し、また消える。カメラをとりだそうとした瞬間に姿を消してしまう。チャンスを待っている余裕など無い。カメラが凍りついてしまうのである。そう言えば、初めて顔面や鼻水が凍りつくのを経験したのです。



阿弥蛇山頂(2805m ) にて強風の中カメラをとりだして証拠写真を撮る。明るいけど、風は強烈なのである。寒い!時々ガスが飛んでいた瞬間にパチリ。
阿弥蛇岳を後に下山路に向かう新雪の急斜面を下るのは足下が不安定で、着けてきたトレ−スもまだ十分に踏み固まっていないため、ズルズルと滑り安定しない。やっとの思いで中岳と阿弥蛇岳の鞍部におりる。ここからは中岳に向かってやや雪庇の張り出した、稜線歩きとなる。ここからは十分なトレ−スがつけられ、歩きやすいことこのうえない。時折ガスの切れ目からうっすらと赤岳の全貌を拝みながら、中岳に到着。一旦、下ってまた更に登り返し、文三郎道の分岐となる。さて、風・雪共更に強くなり、氏はここから文三郎道を下山することとなる。私は更に赤岳を目指すこととなる。山頂方面から下山してくるパ−ティ−はときどき見受けられるが、時間は11時であり、この天気である。今から、登ってゆく人はほとんどいない。ちょっと不安を抱きながらも登っていってしまうのが最近の私の傾向なのである。粘り強く・諦めることが少なくなった・・・といえば聞こえがいいのだが、ただ単に無茶なだけなのかも・・・この先は、道はしっかりついており、人気コ−スであることが伺われる。風雪にもメゲズずんずん登ってゆく。雪山で思うことは、山頂は遠くに見えても実際は結構近ものである。空の白さと山の白さがかさなって、遠近感が失われるのだろう。・・・などと自分に言い聞かせて・・・途中鎖付きの急斜面を通過するが、強い雪のため道がかき消されてしまっている。途中下山パ−ティ−2組とすれ違い、分岐から30分位だろうか・・・時計を見ていないのでわからないが、山頂に到着。ヤッタ−、これが八ケ岳最高峰赤岳なのか-・・・寒さと最高の景色??と感動!

2899m・赤岳山頂に到達。同じ時間に反対の地藏尾根から登ってきた方と写真撮影の交換をする。眼鏡・帽子のつば・髪の毛がぱりぱりに凍ってしまっていて、ほとんど前が見えていないのである。後で気がついたが眼鏡を外して、素で歩いたほうが、よく見えたのである。寒くて、じっとしてられない。山頂で写真を撮って、2分後には下山開始である。彼はこのまま地藏尾根側に・・・私は、登って来た道を下ることとする。
12時15分・下山開始
雪山の下りは、いつになっても緊張する。特にこのように天候が悪いときは、足下すら見えていないので踏み出すタイミングが遅れがちである。ゆっくり下ってゆくが、10分くらいしてからだろうか・・・急激に雪が強くなり、完全にホワイトアウトしてしまった・・・下りの方向も・右も左もわからなくなり風が止むまで地面にピッケルをさして耐風姿勢でしのぐ。(風・雪が止まなかったらやばいな〜・・・)などと、不安が強くなってくるが一瞬みえる、赤い道標を見つけそれに向かって、またゆっくり進む。こんなことを繰り返し、やっと、ところどころに岩のでた道を確認することができた。実際にかかった時間は短いけどこの間は途方もなく時間がかかっているかのような錯覚をするから不思議。文三郎道の分岐を見つけ、ここからは、行者小屋に向けての下山となる。鎖付きの整備された道のようだ・・・これをたどってゆけば良いである・・・・と思って下山を開始したとたん、今度は谷川からの強い風雪が襲ってきた。。たちまちホワイトアウト!谷からの風に眼鏡は曇り、視界が無くなってしまう。鎖をしっかりつかみ降りてゆくのだが、新雪のため足下も悪い。時々ずぼっと足をとられ、転んでしまう。こんな状況ではピッケルもアイゼンも効かないのである。どっちが谷でどっちが山なのかも定かではなく、急に左足がすっ−戸とられ、身体が左に流れる。ああ〜〜と叫び声も出ないまま滑落か−−と思い思いっきりピッケルを新雪に打ち込み何とか停止!恐らく落ちてゆくような場所ではないけれど、先が見えないと言うことは怖いな〜とややびびりながら気分を立て直し、再度下山を開始。
(結構涙ながらの下山だったのである)ここからが本当に永く感じたのである・・2500m位まで降りると雪も少なくなり、視界も開け、斜度も落ちてきて一安心)^_^(。
何とか1時30分過ぎには行者小屋まで降りることができたのである。一旦小屋の中に退避し、凍りかかったパンをかじりテルモスのお湯で無理やり流し込む。あ−あ疲れた。体力的にではなく、気分的に・・・この時間になるとほとんどの人は下山をしてしまっているらしく、テントが5張りくらい、小屋の中にも10人位の人しかいない。まあここからは焦ることはないし、小屋の中でゆっくり休ませてもらう事とする。小屋はこの連休のみの営業らしく、従業員さんは忙しそうに小屋の中の後片づけをしている。30分くらいゆっくりと休み、今降りてきたガスの中の赤岳を見上げ、感慨にふけりながら、登ってきた北沢の反対の南沢を下ることとする。また、来てみよう。今回は写真はとれなかったけど、一瞬みた赤岳の勇姿・・この景色を自分の記憶の中にとどめておこう。またいつか、来たときに今度はこの勇姿を撮影してみたい・・・


下山途中の南沢にて
今回の山旅は本当に無計画なまま突入してしまった。その揚げ句、泣きそうな出来事に見舞われて、結構精神的にはきつ〜い思いをしたのですが、色々苦しいことは終わってみると思い出に残るものですね。下山後に安堵感と充実感が込み上げてくる。その日は、もうこんな思いはしたくない・・・と消極的になってしまうが、1週間もすると、また、山に登ろう、登ってみたい・・挑戦したい・・・とまた困難を求めてしまうものなのです・・・・よね、そうでしょ、皆さん?