起 岳人の憧れ、雪と岩の殿堂、試練と憧れ・・・・剱岳を形容する言葉は数多い。特に試練と憧れ・・・・これは主に雪の剱に挑みかかる者に与えられる言葉であろう。しかし、真夏の早月尾根においては冬とは違った、暑さ・脱水との闘いが待ち受ける。今回の登山口となる上市町馬場島はこの剱の2つの一般ルートのうちの一つである。その標高差の大きさ、直登につぐ直登、早月小屋以外に水場もなく言わずとしれた試練のルートであるがゆえ、多くのものは立山アルペンルートからの入山がもっぱらだ。しかしそこには、山の静けさはなく、喧騒と雑踏が待ち受ける。誰もが自由に訪れることが出来、かつての山岳信仰の姿はみられない。今回の山行はこの馬場島から始まる。出発時間は深夜2時。暗黒が支配する時間に早月の樹林帯に挑まなければならない。不安・恐れ・心配は尽きない。今回ほど出発の時に迷い、現地に到着してからもあまりの不安に押しつぶされそうになり、クルマのドアを開けることもままなら無い状況であった。出発の前に慌てて熊よけの鈴を買ったのも、わずかでも恐怖心を紛らわせることが出来るかもしれない・・・と考えた結果だ。たとえこの急登の早月と言えども1泊2日以上や、多人数、ゆったりとした日程で望めばただの山道である。連休など望むべくもない私にとっては日帰りでの限界点での山行がもっぱらだ。岐阜市内から富山まで仮眠なしでクルマで行き、さらに剱を日帰りし同じ日のうちに自宅に戻る。これからも山を続けてゆきたい・・・もっと多くの山・高い山・遠くの山にも望みたい・・・しかし、日常生活での制約が限界をもたらす。もうやめようかなこういう事は・・・・自分の山に対する姿勢・気持ち・それを証明するためには何かしらの結果が必要となった。さあ、先々週の笠ケ岳に続き、この夏最後の課題を乗り越えよう。(剱だと早月尾根だとはいっているが、本当の剱のすごさは小窓尾根や八ツ峰などの針峰群・雪渓群を指すのであって、私のいっているのは剱夲峰のみであります。クライマーの方やバリエーションされてる方が見たら怒りそうですね・・・許して(^。^;) この思いの影にはいまの自分に直面した日常での葛藤があるのだが・・・毎日繰りされる仕事でのさまざまな問題、これからも乗り越えなくてはならない数々の試練・・・これらの問題を山登りにすり替えて解決できるはずはない事は重々承知しているが、何かを乗り越える強い気持ちを確認するために、あえてこの山に向かわなければならなかった・・・困難に立ち向かい克服すること・・・ 今回の行程 |
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下山後に撮影した慰霊塔横の記念碑 |
剱岳・馬場島・早月尾根 冬の剱に挑み剱に散った者たちへの賛美と称賛、そして鎮魂・・・ 季節は夏・・・冬の剱のような危険は無いが、そこは剱本峰への壁となる早月尾根が立ちはだかる |
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出発時の2時の登山口は暗黒の中にあった・・・写真は何が何だか解らないが、とにかく真っ暗だったということ!!初めてのルートが真っ暗というのはやはり恐ろしい。明るいときに下見をするものだよ・・普通は! |
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さあ出発だ。これから先は己の体力とガチンコ勝負だ。決して負けない精神力をためす時が来た!(大げさだってば!!(^=^;) これって自己陶酔?? |
承 そして、暗やみの登山口へ向かう・・・のだが、このとき一台の車が自分の背後からやって来る。私を追い越し、さらに登山口に近い場所に車を止めている。”自分と同じようにこれから登るのかな〜好きモンは私だけではないようだ・・”山は静かでなくちゃ・・・などと、思っているわりには、人気に内心ホッとしている矛盾した自分がかいま見える。しかしこの車ヘッドライト消さずに準備しているんで、眩しいんだよ!ライト消せよな〜また、目が慣れなくなったジャンか!!(`_´)と心で怒るのだが・・・・しかし、その車からは2人の子供と親の3人組、しかもその子供の1人は小さな小学生である。”まさか!!”と思い、父親の顔を確認してみると・・・・なんと、あるHPで見たことのある、人物ではないか! そう・・・この方は、私と同じ職業にありながら、100名山を初め名だたる冬山を山スキーを駆使して踏破しているのである。そして、最近ヤマケイにも独特の山スタイルが紹介されている。また、山だけではなく、職業でもその独自の創意工夫によってたった1人で年間5000例ほどの内視鏡検査をこなす消化器内科医師である。開業医である彼は決して十分な休みなどとれるはずもなく、専ら、日曜日と水曜日の休診日のみの日帰り速攻登山・山スキースタイルであり、仕事に対する姿勢・山に対する姿勢とも今の自分にとっての目標となる姿がそこにあるのである。2回ほどメールを交しただけであり、彼は私の事を知るよしもないだろうが、インターネットと言うメディアによってもたらされた、不思議な出会い・・・ 目標とするべき人がこの同じ舞台にいる・・・もうこれで迷いはない。 |
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(マックのかたはNetscapeでみてね。Winなら特に制約はないと思います) http://w2222.nsk.ne.jp/~turu/ |
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全くの偶然の出会いであった・・・ 私はおもわず○○先生ですね?・・・彼は少し考え空を見上げる・・・岐阜の○○です。2-3回メールをしたことがあります。 といった感じだったと思う。そして早月尾根に取りついた。暗やみの中でのっけからの急登。しかし、暗くて先は全く見えないせいかプレッシャーは余りかからない。夜中のため少し肌寒いくらいで、虫が顔に当たること以外は特に苦痛はない。夜行登山てこんなものなの・・・ダブルストックのスリングにぶら下げた熊よけの鈴の音の心なしかリズミカル! ただ、足下に細心の注意を払っているので、比較的ゆっくりと登ってゆく。早月尾根には200mごとに立派な導標が備えられており、20-30分を目安にペースを配分してゆく。馬場島の標高は760m、1時間で1200m地点まずまずである。ふっと我に返ると足の踵がやけに痛い・・・やばいな靴ずれだ・・・”今日の靴は時々、擦れるんだ〜しまったなー。一応バンソコウとテーピングはしているんだが、急登故、靴の動きが激しくこすれている・・”こんなところで痛むようじゃかなりやばいな〜”などと考えながら、とりあえず早月小屋まで登るしかない。途中2回ほど靴を脱いで、テーピングの位置を整えるが、すでに皮が浮いてきているようだ・・・ その頃、50m位下に、3つのヘッドライトが樹林の間にちらちらと光っている。来た・・恐らく私の方が20-30分くらい早くスタートしたはずなのだが、もう追いつかれたようだ・・・さすがに早いな、しかしこれ以上のペースアップは足の状態を考えれば危険である、やむなくペースを落とす・・・そして次の導標1600mでしっかり、追いつかれることとなった。ここでパス・・・”さすが早いですね・・・”先頭は小学校3年生の剣君である。そのあとを2人が追随するといった形であった”あとは、彼らの後を追いかけるが、早い早い!! 途中の小広場で再び追いつくが、子供さんの1人が体調が悪いようである。彼は這いつくばるような状態で頑張ろうとしているが、途中で何度ももどし、これ以上は登頂は困難なようだ。とりあえ小屋まで上がるよう父のゲキが飛ぶ・・・すっげ〜〜スパルタンなファミリー・・・ 途中であれが”大日です・・”薄明かりの中の山容を指さし教えていただいた。 このような、感じで暗やみの中を上り詰めてゆく事が2時間・・・樹林帯が少し切れて、空が少しずつ夜のとばりから開放され明るさを取り戻す刻となる。恐らく小窓尾根とおもわれる稜線がかろうじて浮かび上がってきている。剱に来ているんだという実感がここで初めて沸いてくる。そして、途中尾根筋の写真を撮りながら、完全に空が明るくなる。 さあ、早月小屋まではもう少しだろう・・・導標の数字が200mづつ加算され2200mとなり、そしておもむろに早月小屋の立つ小鞍部に到着。出発から3時間とすこし・・5時15分であった。小屋の前の小さなテンバでは何人かだテントからはい出し、これから、山頂に向かおうとする者、テントをかたずけ、下山かもしくは山頂から縦走に向かうもの・・・が10数人。やはり、早月は静かなんだ・・・ 私はというと・・・・靴を脱ぎマメとくつづれの状態を確認しテーピングテープを張り替える。かなりやばそう・・・もうめくれてるよ・・・やばいな〜〜 またまた不安が襲いかかるが、ここまで来たんだ、気合いで登ってやる・・・などと思考を巡らせている横で、3人のうちの体調の悪くなった1名はここので残念ながらリタイヤを決意したようだ。そして小3の子とDrは”さあ、気合い入れていくぞっ”と我が子にゲキを飛ばし、一目散に尾根を駆け上がる。 ここに残った、もう1人とわずかながらの会話・・・ ”お父さんと知りあい?” |
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うす明かりに浮かび上がる小窓尾根。 これこそ、剱に来た証・・・ |
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薄明かりの中に大日岳が浮かび上がってくる。残念だが今日の天候はいまひとつだろう・・・ |
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これは・・・奥大日?? このあたりの地形は良く解らんなー?? |
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早月尾根上部2400m付近から早月小屋を見下ろす。 相当な標高差を登ってきたようだ。はるか下に早月小屋とさらに下には馬場島・早月川が望める |
この後、さらに急登を登り詰めてゆく。高度が上がれば上がるほどガスも多くなってくる。山頂はいまだ顔を出さない。どこが本峰すらも解らない。しかしそんなことはどうでも良い。今日は景色よりも登り詰めることが目的なのだ。1時間の間に10名ほどの先行者を追い抜き、追い抜きざまに夫婦の1人に声をかけられた。 ”早いですね?小屋は何時に出たんですか?” ”いいえ、馬場島から直登です・・・今日中に岐阜までか帰らないといけないので・・” ”ええっ??日帰り??本当にいるんだこんな人が・・・” だんなさんに向って ”日帰りして岐阜まで帰るんだって!!” と驚ろいて話しかけている。驚いていただくのは光栄だが、もっと恐ろしく速い人たちだっているだ。ただし、後で聞いてみた話だが、地元の人は剱日帰りは良くトレーニングとして行うらしいが、私のような遠方は少ないとのこと・・・そりゃそうだわ、こんなしんどい思いをして、車で来て日帰りするやつなんていないよな〜第一もったいないよ・・・せっかく剱に登っているのに!!やっぱり普通は泊まりだよな〜〜そんなこと考えながら、痛い足を引きずるように、エボシ岩・シシ頭・カニのはさみの岩場鎖場を抜け、もうすぐ山頂だろうか・・・、と時計を見たのが8時10分。その時山頂方向から声が聞こえた・・・彼らだ・・・下山開始のようだ、すれ違いざま、ヤッパリ速いですね、噂どうりです。すごいネ剣君・・・重たい足取りの私を見て”もう少しですよ・・”と一言。”ありがとう”これが最後に交した言葉で、彼らは一目散に下山していった。 |
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最後の鎖場・・・カニのはさみを抜けひと登りで山頂である。8:00AM |
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転 次から次へと大集団が登ってくる・・引率されたおバサン達はリーダーとおぼしきおじさんに”ご苦労様でしたリーダー””ありがとうございましたリーダー”・・・やたらリーダー・リーダーがこだましている。彼らのリーダーとは”やっほー”と同じようなものなのだろうか???やたらと律義に挨拶をしまくる。 もう少し彼女達に静かにすることを教えてよ”リーダー”・・・ もう降りよう・・・静かなところまで |
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下山前にもう一度靴擦れ確認・・皮はべろーーん・・・わあ!持たないかも!最後まで・・・血みどろ覚悟!!で下山である。登ってきたからには、己の力で降りなさい・・・ 少し静かなところで写真を撮ってみた・・・ しかし”振り返ると奴・・・”ではなく”新たなリーダー軍団が現れた”ヤッパリおりよう! 平蔵のコルと早月尾根分岐付近から平蔵のコル方面を見おろす、相変わらずガスは切れない。時々切れかかるのだが・・・8:52AM |
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剱夲峰はガスの中・・・尾根から振り返る 10:31AM |
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11:10AM早月小屋にもどる。ここで、20分の大休止。 ここでもう一度靴を脱ぎ、絆創膏・テープをはリ直した。小屋番の方(小屋の主人かな?名前がわからない・・・)にガーゼあげようか?と心配していただくが、処置用の道具はありますんで・・・これからもまだ長いっちゃ!きいつけてな。まだ1400mもおりないかんなー途中でばてんようになーとの励ましをもらう 隣で休憩していた方によるとその方は・・・ |
結 |
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早月小屋を出発。さあこれから、約1400mの高度を下るわけである。下りは、つま先側に体重が掛かり、踵の摩擦が減るため、痛みはあまり感じない。しかし、一旦、登り斜面なったり、ましてや水平斜面でさえも、踵に力がかかり、ズッキーーーーン、ズキズキ・・・!!と痛むわけである。 もうやけっぱちである。確実に皮がむけ、皮下有棘層がむき出しにでもなっているのか・・・考えるだけでも恐ろしい。左がひどいが右も痛みが起こっている。 しかし、こんなところで停滞は出来ない。自分で登ったのだから、自分で降りなければ・・・出来るだけ、つま先を蹴り込むように歩き、登り斜面ではつま先立ち状態でゆっくり登ってゆく。(完全にツボ足歩行である)こんな歩き方ゆえやたらふくらはぎに力が入る。もう感覚マヒに近いかも。ゆっくり行けばいつかは着くだろう。こんな感じで淡々と降りてゆくのだがそれでも、途中で数人の下山者を追い抜いている。(私って結構健脚??)登りよりも下りは気が焦り下が常に見えているため、その行程はいっそう長く感じる。200mづつの導標はなかなか数字が減っていないような錯覚に陥ってしまう。(どう考えても登りより速いのであるが・・・) |
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早月尾根から見下ろす早月川・馬場島 出来るだけ足のアクションが減るように、つま先を蹴り込んで下って浮く。つぼあし歩行状態である。 |
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それでも多少は、景色を振り返りながら降りる余裕はあった。これは??赤はげ・白はげ・・・方面ですよね・・・? 今一つ山の同定が出来ていない!! |
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同標に導かれ徐々に高度を下げてゆく。最後の同標にたどり着いた。 |
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下山完了である。登山口の導標であるが、真っ暗だったので気がつかなかった。こんな感じで距離が記されていたようだ。初めからこの距離が判っていたらかえって登れなかったかもしれない! |
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8時50分下山開始ー途中30分の写真撮影と30分の休息を挟んでー13時45分下山。4時間55分を要してしまった。総行動時間は11時間45分であった。 この木の右横から取りついたのだ。真っ暗というのもまんざら悪いことではないのかもしれない。いつもは、早出の場合でも午前5時くらいなので夏なら既に明るいのである。今回はまさに夜行登山であった・・・・ |
ふうっーーーようやく降りてこれた。下りの時間帯は12時から2時にかけてであり、樹林帯の中はとにかく暑い・・やはり深夜のうちに出発したのは結果としては大正解であった。登りが日の出以降であればかなりの暑さを味わい、水場のない早月はそれこそ危険を伴うかもしれない。脱水には要注意である。 さて今回の山行きではいったい何が得られたのだろう? その答えは今すぐには出ないだろう。早月尾根を日帰りしたという単なる事実だけかもしれない。しかし、何年か後の自分は必ずここを登りきったんだということを思いだし、常に高みを目指しているのだと思う。苦しいときも悲しいときも・・・また苦しくなったらここに戻ってくるよ・・・・ しかし、このように、厳しい山を登りきったとしても、その道中はクルマでの移動であり、むしろ交通事故に遭遇する危険性の方が高いのかもしれない。無理は禁物である。そう何度もトライすべきことではないのだろう・・・しかし山は魔物である。困難を克服し下山直後はもういやだっとおもっていても、3日もたつと、あの感覚がよみがえり、耳元で”また行けよ・・・”とささやきが聞こえてしまうのであろう・・・ 靴の状態次第では今週は山屋さんで靴を物色しなければならない・・・また出費がかさむのだが、大義名分で靴が買え、嬉しい悩みでもある・・・・つくづく脳天気なようだ! |