2005/01/10(日)-11(月)
1年ぶりのテント泊・・・極寒・強風の南八ケ岳ミニ縦走(赤岳ー横岳ー硫黄岳)


1月9日(日):美濃戸口ー美濃戸山荘ー北沢ー赤岳鉱泉小屋前(テント泊)
行動時間:4時間31分、上昇高度:710m、下降高度:365m
1月10日(月):鉱泉小屋前ー行者小屋前ー文三郎尾根ー赤岳ー赤岳展望荘ー横岳ー硫黄岳ー赤岳鉱泉小屋前ー北沢ー美濃戸山荘ー美濃戸口
行動時間:10時間27分、上昇高度:1315m、下降高度:2085m

最高到達点:2899m(赤岳山頂)、累積上昇高度:2026m、累積下降高度2452m


林道歩行中:9日11時46分

2005年1月9日(日)

11時30分に美濃戸口に車を駐車し、少し雪は舞っているが、柔らかな陽射しの中歩き出す。少し暑いかな・・とアンダーシャツの上に直接アウタージャケットを羽織って歩き出す。1年ぶりのテント泊でしかも写真撮影行が中心のため三脚・35mm・645・デジの3台・・・装備重量23kgは久しぶりに肩に食い込む・・・歩けるかな〜〜と不安になりつつ歩を進める。1時間で美濃戸山荘前に到着。今年は暖冬だと思っていたが、このところの冬型の季節配置で連日降雪があったようだ。美濃戸山荘でお茶と野沢菜漬けのサービスを受け一休み。ここでけっこう雪が降ってきてしまった。先が思いやられる。南沢を行って行者小屋前でテン泊するか、北沢から鉱泉前でテン泊するか迷っていたが、当初の予定どおり北沢経由〜鉱泉テン泊〜赤岳〜横岳〜硫黄岳〜鉱泉前下山・・・と設定して北沢を進む。過去3回の赤岳もほとんど北沢経由だ・・・何と言っても北沢の方がせせらぎが美しいと思うし、途中から姿を現す大同心・小同心が素晴らしいから・・・しかし天気は悪い。どうなりますことやら。(いいんです・・・写真だけではなくて1年ぶりに寒さを楽しむ目的もあったのですから)・・・・とこの時は思っていたが翌日、痛い目に遭うこととは思いもしなかったのです。


雪の舞う、美濃戸山荘で休憩中:9日12時46分


北沢を進みます。思っていたより雪が深くなってきました。静かな世界が続きます。周りには水の流れる音だけが広がります。

この後約1時間で赤岳鉱泉小屋に到着です。2年前にはまだなかった人工のアイスキャンディーができており、みなさんアイスクライミングの練習に勤しんでいます。八ケ岳はアイスクライミングが盛んである。山登り・・・とはまた違った、最新の兵器を使った、極めて垢抜けたスポーツ感覚の山遊びである。古典的ロッククライミングとフリークライミングの関係とアイスクライミングと雪山縦走との関係も然りである。スマートなカッコ良さと泥臭さの相対する関係であるが、まあこれは好き好きですね。面白そうだけどなかなか続けることは大変だ・・・毎週通うことなんて出来ないし

赤岳鉱泉までは順調に到着したためゆっくりとテントを張り一休み。テント内でさっそく珈琲を入れ暖まる。現在気温マイナス8度。この後時間もあるし、中山展望台まで行き大同心の景色でも楽しもうとサブザックに写真機材・三脚・テルモスを入れ向かった。天候は曇・・・ほとんど日も射さず見晴らしは期待できそうもないが、途中の上り坂で突然周辺が明るくなり後光のごとく陽射しが舞い降りてくる。一瞬大同心が輝く!すかさずザックからカメラ・三脚を出しセットしようとしたがホンの1分で瞬く間に大同心はガスに消え、シャターは押せなかった・・・本当に一瞬の輝きであった。おそらくこれでもう今日はだめだろうなと思いながら、展望の良い高台に上がった。ここには、3名の中高年の方と1名の学生風の女性がいた、先程の一瞬の光景をみて感動されていた。中高年の方達はすぐに降りていってしまった。残った女性も方にカメラをぶら下げ写真を撮ろうと思っていたようだが、結局この後陽は射さなかった。晴れない空を見上げる女性。しかし、何だか嬉しそうに笑っている様に見える・・・素晴らしい景色が見れなくても、この自然の中に存在できることが嬉しいかのような表情であった。素敵な女性である。その後彼女は展望台を降りて私は10分くらい粘ってみるが、ガスは深くなるばかりで三脚を片付けテントに戻ることにする。


赤岳鉱泉小屋の内部はアイスクライミングの道具やウェアが展示されており山小屋の雰囲気を逸脱しておりリゾート小屋の雰囲気です。泊まっている人も多くはアイスクライミング関係が多いです
鉱泉前に戻るとすでに夜のとばりが下り始めていた。鉱泉は人の出入りが多くとても静か・・とは言い難いが、安心感は十分にある場所である。小屋のなかで水をもらい夕食の準備にかかる。久々のテント内での食事に何だかニンマリしてしまう・・・好きなんだよなこれが・・・今日のメニューはカレーです!!私にとってのカレーは飲み物同様です・・・(カレーは飲み物だ・・・といった芸能人もいました)カレーとスープをいただき夕食後はシュラフに潜り込み、1リットルの水を入れたプラティパスとテルモスを凍らないようにシュラフの中で抱いてねる。残りの水はおそらく凍ってしまうだろうが頭の近くに置く。ここで失敗・・・・ジッパー式のプラティパスと普通のねじ込式の2種類のプラティパスを持っていたが、もちろんシュラフに入れるほうは、漏れないねじ込み式だが、枕元においたほうがジッパー式で、しっかりジッパーが閉まらずに夜中に頭を動かしたときに倒れて500ccくらいがテント内にこぼれてしまう・・・瞬く間に水はテントの床で凍りつき一部はマットの下に潜り込む。シュラフ内には漏れなくて良かった〜〜〜氷になった水を必死にかき集めテントの外に捨てるのだがなかなか、ぱりぱりと薄く粉々になる水?氷?を全て集めることが出来ずあきらめてねてしまう・・・くっそ〜〜致命的な失敗だ〜〜と半泣きである。シュラフの中だったら最悪だ・・・とぞっとしてしまう。

何とか朝3時に起床です。出発は4時の予定です。さっそく寒い中モゾモゾと起きバーナーで暖をとります。まずは珈琲を入れます。この後は、朝食ですが、マーボー春雨かけご飯・・・とスープです。かなりしつこい食べ物ですが、私は朝ご飯が全てです。日常も朝ご飯が1000カロリーくらいで、昼抜きの時も多く、朝が一番のエネルギー源なのです。今日は一昨年と同様の赤岳から硫黄岳の縦走で途中は行動食のみですのでしっかり食べます。しかし歩くとさすがに苦しかった・・・朝4時30分少しおくれて出発です。まだ真っ暗でヘッデンを点けて歩きます。アイスクライマーもモゾモゾと行動開始しておりこの時間でもヒト気が多いです。文三郎道を進みます。時々写真撮影をしながらの登高ですので時間がかかります。後から数名の登山者に追いつかれました。文三郎道の途中から少しづつ明るくなりますが風も徐々に強くなって来ます・・・先行きは暗いです。


阿弥陀岳が少しだけ焼けました・・・後にも先にも、これが一番の天気だったと思います

文三郎道は踏み跡もしっかりしており迷うことなく歩けます。徐々に高度を上げると阿弥陀岳が眼前に現れますが、少し陽が射し絶景を期待させます・・・しかし・・・これが本日の唯一の光景・・・といっていいかも知れません。このあとはガスがかかることはありませんでしたが風雪〜強風・寒さとの戦いのみの行程となってしまいます。一応三脚をセットし645で撮影もしましたが出来は期待出来ません。歩きながら時々撮影・・といった行動で時間が遅れがちです。2年前に来たときは天候がよくて、ゆっくりでもよかったのですが、今回はそうはゆきそうにありません。遅くなると危険なのですが・・・前回より1時間早く出発していたのですがすぐに時間は浪費していました。


赤岳山頂にて気温約マイナス18度。他に登頂者が若者2名この後彼らも硫黄岳へ縦走するようです。凍ってきてます口元・・10日8時15分


岩の先端にクライマーが見え隠れしていました


諏訪方面は比較的天気が良いです。おそらく平野部は晴れているでしょう


横岳稜線から同心稜


大同心厳冬:10時18分。ここにもクライミング終了のクライマーがいました


横岳山頂:10日10時16分。バラクラバは完全に凍ってます・・


硫黄岳手前から横岳方面を振り返ります。


硫黄岳小屋前:10時49分。強風が吹き荒れています
横岳から硫黄岳に向かいます。横岳は佐久側に回り込むと風は遮られ楽に歩けますが硫黄岳周辺はそうはゆきません・・・遮るもののない、丸い山頂は風がまともに通り抜けます。気温はマイナス12〜15度位ですが、風速は15-20mくらいでしょうか。体感温度はかなり低く、マイナス30度近いのではないでしょうか。台風の中を歩いている感覚です。体を風上に向けて30度くらい倒しても倒れずにバランスがとれてしまいます。ピッケルで反対側を支えても飛ばされそうです。実際に歩いていても風下に方向がドンドンそれてしまい修正するのがやっとです。時々耐風姿勢で耐えますが、風は止みません。硫黄岳を脱出するしかありませんので耐えて進みます。7つのケルンを忠実にたどり山頂を経由し分岐部まで下るのですが、峰の松目の分岐を見失いましした・・・左寄りの急斜面に導かれてしまい少し下っていたのですが過去に歩いた記憶がありません、このまま下ると険相な谷です。鉄則に従ってとにかく戻ります。もう一度ケルンに戻り方角を見定め、何とか視界が回復するまで待ちます。稜線どうしで踏み跡らしきトレースを発見しました。岩場を乗り越えナンとか道標を発見。ほっと一安心です。僅かな方角のずれです。無積雪期なら間違えようがありませんが、雪と風のコンディションが一瞬判断を鈍らせます・・・注意注意


硫黄岳山頂11時17分。何とか硫黄岳山頂に到達です。


大同心ルンゼ分岐まで下降:12時20分

ここからは樹林帯に入り風は止み静かな雪山歩きです。トレースは十分でラッセルの必要はありません。淡々と下るだけです。結局横岳への登りで対向者とすれ違ったのが最後で、誰とも会いませんでした。たぶん2名の若者が

私の前を歩いていったはずですが、赤岳展望荘で休んでいる間に先に進んだのか、地蔵尾根を降りてしまったかも知れません。約1時間で赤岳鉱泉小屋前に降りてきてテント内で一休みし、撤収にとりかかります。


赤岳鉱泉小屋に帰還:12時30分


テント撤収完了1時51分:出発2時02分
美濃戸山荘:3時00分、美濃戸口:3時50分、帰路出発:4時30分、岐阜着:8時30分、その後職場へ・・・10時帰宅

美濃戸口に戻り車に乗ってはじめて気がついた。手がしびれてしまっている。ハンドルを握っても感覚が鈍い!やられた!凍傷だ。そしてミラーに映った顔を見てさらにビックリ・・鼻と頬は赤く腫れている!ここもか〜〜しっかりと凍傷だ〜・・・。ナンとか自宅に戻り医院へ行ってさっそく血管拡張剤(プロスタグランディン)内服および点滴。小児用バファリンによる血栓抑制、ビタミンB12・1.2.6、ビタミンE、ビタミンC、局所にはステロイドホルモンとプロスタグランディンの合剤をつくり塗布した。ナンとか重症化しないでくれよ〜〜あとは祈るだけだ。鼻は水疱状で破れてしまった。凍傷II度。頬と手指と足趾は赤く腫れ・感覚がしびれたり鈍く痛んだりであり、I度であり、これは軽傷だ。しかし、油断してた〜・・・凍傷は後になってはじめて気がつくのだがやっぱり本当だったのだ〜〜あとはしばらくは安静と保温しかないな〜・・自・業・自・得!!
手がしびれて字がうまく書けないよ〜〜なのに今日は診断書や介護意見書などの書類を5通も書かなければならなかった・・・

凍傷治療経過の巻・・・
指先のしびれ:右手・中指、薬指は先端のみしびれ感と知覚過敏状態が残り外見的にはほとんど正常に見える。よくみてみると、指紋のあるあたりが僅かに皮膚が硬化した感じである。左手・中指、薬指は皮膚表面が僅かに鈍い感じがするがほとんど正常化したといってもよい。
鼻:水泡が破れ分泌物が出ていたがこれもほとんど沈静化したが、鼻の頭が腫れており特に左側(風が左から吹いてきており直撃していた)が腫れており僅かに黒く色素沈着し感覚が鈍い。皮膚の表皮剥離有り。右も皮膚が僅か破れているが、こちらは感覚はほとんど正常。
頬:コスメティックな面ではここが一番目立つ!!感覚障害はないが黒く色素沈着し、ゴーグルのラインに沿ってアザになっている。これが将来的に残るかどうかは経過次第!!何とも言えないな〜。
足の指:外見的にもほとんど異常は無いが少し感覚が鈍い・・・
要は風が強く当たっていたところが集中的にやられた訳だ・・・かなり正直な症状なのです。・・・なんて感心している場合ではない! 人前で、(患者さんの前で、凍傷になってしまった〜なんて笑ってごまかしてはいるが、指を切らなくてすんだだけでも幸いなのだろう。今回のような状況でこのようになるとは、油断は禁物です。)
トホホホホ・・・・・・

1月16日現在・・凍傷は徐々に安定してきているが、指先の皮膚が硬化し、感覚が鈍い状態です。顔は・・・黒く色素沈着していますが、化粧品などで必死にお手入れです・・・あんまりひどければ美容整形外科ゆきかね〜