2005/09/18(日)-19(月)
北鎌より槍を目指せ・・・悲劇と栄光の北鎌尾根
メンバー:2名、M氏(飛騨山岳会:薬剤師)・私
形態:縦走
最高到達点:槍ケ岳山頂3180m
累積標高差:2231m
総行動時間22時間

2005年9月11日(日曜日)〜出発編〜

槍ヶ岳・北鎌尾根は栄光と悲劇のドラマを生んだ歴史的な岩稜。その存在感と魅力は、いつの時代にも褪せる事はない。
★本コ−スは危険度の高いバリエ−ションル−トです。安易な入山は避けましょう。 特にこのレポートはコースガイドを目的としたものではなくただ単に我々の珍道中を示したに過ぎません。ご参考になさらずに・・・

北鎌尾根と言うところ・・・
初めて買った登山ガイドブック。ヤマケイアルペンルガイド:上高地・槍・穂高このガイドの中に槍ケ岳;北鎌尾根(貧乏沢経由)のコースがあった。危険度:★★★☆、体力度★★★★、技術★★★★・・いずれもロッククラミングルート以外では最難関のコースと記載されていた。さらに湯俣のコースは危険度:★★★★、体力度★★★★、技術★★★★と最難関レベルの★星四っつ〜〜いただきましたっ!!であったのだ。当然、自分がこんなところは決して登る事なんてないから関係ないや・・・と、特に気にもしていなかった。しかし穂高で山にはまり、さらに雪の季節は山スキー・・・どんどんと自分のフィールドが広がっていた。急登コースも日帰りし、そこそこ体力もついてきたのかな〜〜と自己満足。そんな時に、再びこの北鎌尾根と言う文字を目にしていた。どこかで自分の前に立ちはだかる壁のように感じていたこの尾根の存在・・・。かつて学習院・早大大学山岳部が競い合って、登った。そして何よリも単独行の加藤文太郎、が冬に壮絶な最期を迎えたあの尾根である。いやが応にもここを見てみたい、コースに触れてみたい。そんな衝動がかき立てられた。立ちはだかる壁を突破しないと、気が済まなくなってきた・・・

その日は突然やって来た・・・

昨年の夏に初めて、薬剤師さん(元滝谷クライマーM氏)と北鎌尾根へ行こう!と言う話題が持ち上がり昨年夏の盆休みに、電車も予約し準備を整えたが天候は荒れやむなく中止。今年のお盆休みも・・・再度、電車等の手配もしたが、やはり天候が荒れあっけなくまたもや中止。しかし今回9月・・比較的天候も期待出来そうな気圧配置の2連休。16日にM氏に電話で・・・
”今週末、行きませんか・・北鎌・・・”
”仕事の調整するから一日待って”
そして前日17日・・何とか両者の日程を調整し、決行する事となった。いきなり決定である。ただし電車は特急は仕事の時間の都合上乗れない。どうする?唯一の手段は・・・通勤鈍行を小刻みに乗り継いで、松本駅で3時間くらいビバーク??!!して始発の信濃19号で信濃大町にたどり着く。そこからはタクシーで七倉登山口〜高瀬ダムまで乗り入れる・・・しかない。

合わせて四捨五入90才の珍道中

とりあえず、行けるとこまで行ってみよう! 天気が崩れたりしてダメなら松本で酒でも飲んで帰ってくる!そんないい加減な計画だ。荷物なんか出際に適当に詰め込んだものだから、いらないものばかり。それでもテン泊装備で何とか切り詰めて水抜きで13kgにとどめた。これに最大3リッターの水を背負うと16kgくらい。北鎌ではこれくらいでないとかなり厳しくなるはずだ。私はそんなに強力ではないから・・・

岐阜駅夜7時集合・・・M氏は待ち合わせ時間ぎりぎりに現れる。”飛騨山岳会”のエンブレムパッチの縫い付けられたキスリングタイプの年季の入ったザック。私はテント担当、彼は食担である。しかし彼の荷物は乱雑!!トップポケットが半分開いて、水筒代わりのペットボトルが2本飛び出しており、落ちそうだ!おいおい大丈夫??アバウトな方である。とりあえず、ビールと夕食買ってこよう!と言う話になって岐阜駅構内のスーパーで買い物をしていたら、発車3分前になってあわてて気づき買い物も適当に済ませ、かろうじて電車に飛び乗る。でもまだ切符買ってないんだよな〜どうして改札通れたんだ???
何とか間に合った!!(いきなり無計画な山行丸出しだな〜〜この電車に遅れたら全てはパーなのに・・・先が思いやられるよ)岐阜駅発〜東海道線〜名古屋駅で乗り換え、乗り換え時間3分!!中央線:名古屋発中津川行き鈍行!!まだ通勤帰りの客が多くザックが邪魔かなと思いながらも遠慮はしないでしっかりシートを確保。そして発車するなり、通勤客を気にする事なく買ったビールをプシュ〜〜〜(普通は通勤電車では酒飲みませんって・・・)電車内で化粧してる高校生の事言えんよな!ビールを飲んで鈍行に揺られ、いきなりアルコールが回ってきてしまったよ〜〜目の前に座っているおばちゃまと大声で会話。
”これからヤマ行くんだ〜”
”へ〜〜イイね”
”どこへ?”
”槍ケ岳!”
”いまの若い人はあんまリ山は登らんからね〜”
”気おつけてね”
”どうもっ”いいながら、おばちゃまは恵那駅で降りていった。我々は顔を赤く染めてヘロヘロしている・・通勤電車の中での出来事である(@_@)

今回の行程は、鈍行電車を乗り継ぎの極めて原始的な旅から始まります

JR岐阜駅=(東海道本線:鈍行)=JR名古屋駅=(中央線:鈍行)=中津川=(中央線:鈍行)=松本=(大糸線:信濃19号)=信濃大町ータクシー七倉登山口ー高瀬ダムー

中津川終点。そして、最終接続。中津川発松本行き鈍行に飛び乗る。さすがにがら空きなので、車両の橋にあるシルバーシートの横長ベンチシートをいきなり2人で占拠。またまたビールをプシゅ〜〜買ってきた稲荷寿司とソーセージやら柿の種やらをベンチシートに広げて大宴会!!車掌さんも笑ながら通り過ぎてる感じだな〜〜あそうそう、まだ切符買ってないや!!車掌さんに”あわててたんで乗車証明しかない””岐阜から信濃大町までね〜〜”ここでようやく運賃を払った訳だ。(はじめてだよ、こんな手段は・・・M氏はいつもこんなんだったけどな〜〜と・・・ところでM氏は御歳定年間近です・・・)

こんな感じで・・・おいおいシート占拠中(もちろん車内はがら空きです)久々の鈍行電車です。まるで青春18切符状態ですねこれは・・・

手持ちの酒とつまみを食い尽くし今度はベンチシートを完全占拠!!何とか少しは寝ないと・・・松本着夜11時。そして松本に到着。でも次の信濃大町行きは信新宿発濃19号は4時35分発なのだ。時間が余っている。うろうろと横になる場所を探す。浮浪者対策で駅構内は撃退用の警報音が周期的になる!!うるさくて寝れないように。我々も寝れないな〜。待合室に入る。中にはホームレスの方々が先客・・・しばらく一緒に過ごすが、やはり眠れない・・・別の駅構内の通路まで移動し、何とか場所を確保!! でも人通りがやたら多い。学生の飲み帰り、アベックのお通りダイ! 酔っ払いの往来も多い。あ〜〜〜眠れないとイイながら駅の通路で寝袋を広げる我々合わせて年齢四捨五入で90才じゃ〜〜〜!!エエんかいなこんな格好で!!

ホームで一宿の恩義に預かる、我々。浮浪者医療チーム2名(決して真似をしないでください日本が安全と言っても何が起きても保障はしません)いいんですか〜〜こんなことしてて・・

こんな感じで・・・おいおい!いい加減にしておけよって言われそうな光景です。さすがは往年の山屋さんだ〜。昔はこんなの普通だったのですかね(-。-;)赤シュラフ滝谷クライマーM氏。紫シュラフ私・・・こそこそ写真撮ってスンません。Mさん(-_-;)

朝4時39分に信濃19号に乗り、約30分だったかで信濃大町に到着です。・・・朝5時30分まだ明けきらぬ朝。さすがに少し寒いです。

追伸ですが・・・夏なら急行ちくまがあり、いわゆる夜行急行電車で、早朝着のダイヤの電車があるのですが、9月にはもうこの電車はないのだそうです・・・残念です。うっすら明るくなった信濃大町駅。駅構内には山ヤが30-40人くらい。大きなザックから小さな日帰りザックの装備など様々。ほとんどは扇沢からアルペンルートの客だろうと思います。その他は裏銀座縦走か鹿島槍などの後立山方面の登山者でしょう。信濃大町駅の前で客待ちのタクシーと交渉・・・料金は信濃大町ー高瀬ダム:小型で7000円。中型7800円。小型を6時45分に約束し小休止。

6時にタクシーに乗り、解説好きなタクシー運転手と話しながら、山道を進む・・・約30分で七倉山荘到着です。ここには高瀬ダムに向かう東京電力の私道が有ります。タクシー・関係者以外は入れません。ここでゲートがあくまでしばし(約15分)休息です。



このトンネルの向こうに・・高瀬ダムがあります。ここからさらにタクシーが入ってゆきます。台数・時間制限があるので開門まではここで待機です。開門は確か8時30分だったと思います。このトンネルを抜けると高瀬ダム(ロックフィル式ダム)の堰堤上までタクシーは登ります。ダム最上部到着8時45分。ここでタクシーを降り最後の準備を整えます。ダムの横を舗装林道〜長いトンネル〜また林道〜トンネル・・・約1時間30分で登山道らしき場所に到着。さらに進みます・・・そして1時間位で湯俣山荘に到着です

ロックフィル式高瀬ダム

湯俣山荘〜千天出合〜天上沢遡行編

この日湯俣から、北鎌に取りついたのは我々だけのようだった。

おおッ−ーーーあれが独標・・北鎌尾根か。槍の穂先がかろうじて見える・・・もう大コーフン状態である

湯俣山荘の前にかかる橋を渡ると北鎌尾根・・・の道標がある。昔は正規ルートとして多くの登山者が入ったそうだが、今では途中の徒渉点が多く道は荒廃しつり橋も朽ち落ちているらしい。故に現在は大天井経由ー貧乏沢下降が主たるルートとなっているが、やはりこの北鎌尾根・・・千天出会いから登り上げるクラシックルートが良く似合う。今回はM氏の奨めも有り、このクラシックルートを選択した。最短の1泊2日で切り抜けるには初日に北鎌沢を登り上げ北鎌のコルまで登るのがもっとも最短時間であろうと考えた。

さー。いよいよ北鎌尾根へのスタートラインです。体中にアドレナリンが充満してきました。

   
湯俣山荘晴嵐荘


あれが北鎌尾根独標か・・そのはるか奥に槍の穂先と小槍が・・・

この橋の向こうはもう北鎌の世界となる。左の河川に降りしばらくは左岸に沿って詰めてゆくが、しばらく草つきのガレ・ザレ・アップダウンを繰り返す。ひたすら自分がルートを見つけ出すことになる。一種ワクワクした冒険活劇って感じでしょうか

湯俣山荘前の橋を渡り右へ折れ、右岸沿いの道を進みます。ホンの10分で比較的新しい、ダムの制御小屋があります。小屋の横を通り過ぎると東沢の橋に出合ます。この橋を渡れば左へ北鎌、右へ伊藤新道(現在通行止め。最近テレビクルーが伊藤新道のロケに来ていて、今年の10月10日にテレビ放送予定とのことを湯俣山荘の主人に聞いた。)この橋を渡るといきなりガレと草つきの土手、道無き北鎌の世界へ”ようこそ”・・・と行った感じです。しかし、いにしえからの人気ルートであることから、全く踏み跡が無いわけではありません。ちゃんとそれらしい道がつながっていますが枯れ木・倒木・クマザサが行く手を阻止します。1歩1歩しっかりと足を進めましょう。そのうち行く手は左岸のへつりから、河川に下降し、いよいよ徒渉ルートへと導かれます・・・
高巻き〜ザレ〜ガレが連続します。そのうちに自然に河川敷に下降して徒渉の始まりです

冷たいです・・足が痛くなってきます連続遡行は1−2分が限界です


さすがは山慣れたくクライマーM氏。ロックだけではなく、

渓流、山スキーも経験してきただけ有り、遡行も安定感抜群です

さあ、湯俣コースの名物:徒渉の始まりです。短パンに変え、遡行用シューズに履き変えます。水が少なく、流れのゆるいところを見定めて足を入れますが、さすがに冷たいです・・・1分も遡行すると足が痛くなってきます。もしもコケて全身びしょ濡れになったらかなりきついです。いやいや生命に係わることにもなりかねません。この後も、徒渉・河原・砂地・薮漕ぎを繰り返し少しづつ前進します。単調ですが、流れに逆らうことなく水流の弱点を突いて川を渡りながら・・・2時間も経ったでしょうか・・・目の前に北鎌尾根末端の切れ落ちる千天出合らしきところに到達です
千天の出合の岩の上ではしゃぐ私。この岩に向かってつり橋のワイヤーの残がいがありましたが、かつてはここにルートが存在した証です

ここが千天出合!背後の森が北鎌尾根末端です。ここから取りつく完全踏破ルート(P2−P3−・・ー北鎌のコル)がありますが、ここを進むにはさらに余分に1日と懸垂下降の装備が必要です。天上沢側の左岸の薮を掻き分けるとかの有名な千天出合テン場があります。この黄色の道標・・・雑誌やガイドブックにでててヤツだ・・ア〜〜感動

千天出合テントサイトにたたずむ、M氏。再びここから薮を掻きわけ、高巻きが始まります。ガイド本に書いてあったような危険きわまりない場所はなかったと思います。草つきの斜面でのスリップや、根っこに足を取られたり・・・といったことに注意すれば概ね危険無く歩けると思います。ただし、7-8月の水流の多い時期だとさらに徒渉が困難となり危険度も増してくるでしょう。事前に湯俣山荘への情報収集も有効だと思います。(ただ、やはりこのルート、全ての責任は自分で背負わんければなりません)

さらに薮を漕いで登ります。短パン+地下足袋なので歩行は要注意です。ケガをしないように1歩づつしっかり徒歩を進める。短パン・はだしでスリップしたら最悪だ〜〜




天上沢を詰めてゆくと、流れは広く緩い流れに変わり、おおむね、左岸に沿って遡行を続ける。ここは比較的ルート取りは易しく、水際作戦でゆこう!さらに1時間程度の遡行の末・・・・

貧乏沢出合のやや上流に張られたテントを見つける。ここらで水の流れは少なくなり伏流水となってきた。ここでザックをおろし大休止!!本日のメインの一つを何とかこなした・・・おにぎりとゼリードリンクでエナジー補給!約20分の休憩後本日最後の大仕事!北鎌沢のクライムアップです。標高差600mの一気登りです。靴を遡行用シューズから登山靴に履き変えて、ガレの急登を登ります。

   

北鎌沢出合は、貧乏沢出合から約15分上流で右岸にケルンの目印がありますので、そこを見上げるとコルが有りそこが目指す北鎌のコルのはずです・・・・水はしばらく登ったところでとうとうと流れています。時々伏流になりながらまたしっかりとした水流になります。北鎌沢右俣から5分登ったところで左にやや広い枝沢が分岐しますが、ここは右に進みましょう。右の細い枝沢に赤リボンがぶら下がっています。新しいリボンであり今年につけられたと思います。良くレポートである、北鎌沢は右へ右へと進めという間違いやすいポイントだと思いマス。ちなみに左の広いほうの沢はすぐ上にかなりしっかりとした水が流れており,我々はここで水を3リットルづつ補給しましたが、この後北鎌沢上部2200mまで水は出ていて、こんなに重い目をする必要もなかったのですが、やはり水が出ていないことを考えると早めの補給を心がけたほうが良いでしょう。

高度計上2240m(修正していないので恐らく高度2400m位のはずです)ほぼ北鎌のコルの直下100mまではしっかりと水が出ていました。コップに水を汲んでア〜〜〜上手い

北鎌のコルに到着です。コースタイムは2時間と書いてある本が多い中、我々はしっかり3時間もかかってしまったさすがに重荷と長時間の沢歩行でややバテバテ気味であった・・・先客1名有り。テントには・・・日本獣医畜産大学と書いてあるが中には一人だけ・・・こんちは〜〜と声をかけあう。若いソロの男性・・・我々もさっそくテントを張るために小石をのけて少しでも整地を心がける。このテン場とにかく狭い。2張りで一杯だ。もしも多くのパーティーが重なったら大変だったろうな〜〜と要らぬ心配。しかしすぐそばでみんな用足し・キジ打ちしてるせいかアンモニア臭がただよってあんまり善いサイトではないな〜・・・でも自分たちもきっちり周辺で用足し・・・<m(__)m>

テント設営・・・背中にゴツゴツ石が当たる・・・・・私はエアーマットを持ってきたがM氏は何も無し・・・痛い痛いと言いながら、速攻で寝ています。1時間くらい仮眠して、その後お食事です!!

どんな食べ物を持ってきてくれたのか知らん!!  M氏

ザックの中からサトウのご飯3つ・永谷園のお茶づけ・緑茶ティーパック・チキンラーメン・などなど(-_-;)サトウのご飯温めるのに水は結構要るし、コッフェルが小さくて入らんよ!!強引に入れて暖めてみたが、何やら異臭!!サトウのご飯おパッケージがコッフェルのそこに接触して焦げていた!!少し穴が開いたが何とかなりそう・・・しょうがないのでご飯を直接コッフェルに入れ水でたいて、永谷園のお茶漬けをどば〜〜〜とかけてかき回してハイ出来上がり!!なんちゅうご飯だよ〜〜その後チキンラーメンを半分づつ食べて、お茶を飲んで最後の晩餐が終了!!

9月19日朝・・・5時30分  曇〜霧雨〜視界不良でいよいよ2日目の北鎌アタックの幕開け

北鎌尾根登高編・・・暗中模索?霧雨・ガスの中を進む・・・
19日朝5時・・・起床した我々はテントの中で
”おはようございます。背中痛かったですよね?寝れました?”
”何とかね・・”
”天気どうかな?””明るくないよね・・”
と言ったたわいもない会話で一日が始まった。しばらくモゾモゾ体を伸ばしたり背中をさすったりして過ごす。
”飯どうします?”
”何が残ってたかな?””パンが適当にあるから、コーヒーでもつくろ・・”
適当にパンやらコーヒーやらを詰め込んで、一旦外にでてみる。霧雨・・・・それにガスで遠くは見えない・・・(絶句)。ざーざーと雨が降っていないだけ善しとするのか・・・
天気最悪ですよ・・・どうします??どうするって引き返すのも大変だし、行くしかないでしょ・・・隣の方はすでにテント撤収にかかって、荷をザックに詰め込んでいる。おはようございます。最悪ですね!もう行きますか?・・・
ここは標高2450m・・狭いテン場で樹林が覆っているため直接は雨がかからないがそれでも頬に雨が当たると肌寒さを感じる。そう進むしかないのである、この先の下山でもそれなりの危険はある同じ危険ならゆっくり進んで槍ケ岳山頂まで辿り着ければ、何とかなる・・・朝5時30分・・・二人はテントの外にでて恨めしく空をみる。6時出発を目標にテントと荷物の撤収にかかる。この時隣のテントの若者は出発すると言ってカッパを着込んで一人ガスの中へ進んでいった。黙々とテントを片付けるがテント場が狭く、テントに中途半端に着いた砂が何となく気持ち悪くうまく撤収できない。風さえなければいつもは5分でしっかり片付ける自信があったが、ヤケに時間がかかって上手くたためず、また拡げたり・・・気分が進まない証拠・・・それでも何とか6時にパッキングが終わり、私はカッパを着て、M氏は蒸し暑くなるから・・・とクライマー魂を見せてカッパは無し。凄い人だ・・・
まずはコルの小広場につながった、踏み跡を広いながら、草つき急登〜トラバース〜岩混じり〜さらに高度を上げるとハイマツ混じりの急登・・・霧雨で眼鏡が濡れしたばかり見ていてこの辺の景色の記憶が無い。ただひたすら。草やハイマツをつかんでバランスをとっていた・・・それとコルのすぐ脇に慰霊碑のプレートがあったくらい。そうここはかつて幾多の人の命をものんだ歴史あるルート。そうやすやすとは受け入れてはくれまい。それ相応の試練を課す。それがこの天気か・・・一般ルート以外の岩稜帯未経験の私には敷居が高い。それでももう後には引けない進むのみ。己の1歩を信じて。
少し進むと隣のテントの青年が一呼吸入れていた。彼もまたこの天気の北鎌は不安に違いない我々は2名・・・先をゆく。しばらくして彼が後をおう形となった。お互いがそれぞれ過度に干渉しあうことはなく、一定の間隔を置いてただ黙々と進む。時には距離が近づき、少しはなれたり・・・



しばらくゆくとハイマツと岩の混じった細々とした尾根の小広場があった。”天狗の腰”かけのようだ。一張りくらいならテント設営可能な場所。そこで少し空が明るく、雨が止んですーっとガスが引く・・・目の前にゴツゴツした岩稜が現れる。”北鎌独標”であった。そして硫黄尾根の異様な茶色の尾根筋、遠くに双六方面が見渡せた。”晴れそうですね””元気でるね!”と彼と声をかわす。私は初めてザックをおろし、中から中版645をとりだし初めてシャッターを切る。でもすぐにガスがこのルートを覆い行く手を阻んでくる・・・やっぱり今日はだめなのかな。再び不安が襲ってくる。またザックを担いで進むが肩に重さがのしかかってきた。

独標トラバース・・・・

目の前に立ちはだかるように現れた独標・・・ガイド本には核心部・・・と書かれている。前がはっきり見えていないし、周囲の風景がはっきり見えないので、かえって恐怖心が無かったのかもしれない。足下をしっかり確認しザックがひっかから無いように気をつけて進んだのでそんなに危険な感じではなかった。ステップがしっかりあるので良くガイド本で見るような極端な危うい状態ではありません。

その後のチムニーの登り・・・あまりはっきりルートを覚えていない。つまりそんなに余裕がなくなっていたということ! 足がかりはあるのだがスリッピーな状態なのでなかなか一気に体を持ち上げられない。だんだん弱気になってきて、恐怖心ばかりが先行する・・・滑ったらヤバイ・・・どうしよう進めない・・・山でこんなに弱気になったのは久しぶりだ・・・やはり濡れた岩稜そう易々と私を前に進ませてくれない。後続の若者に迷惑かけるけど・・・と恐縮しながらそれでも進まなくてはならない・・・こわごわ一気に体をあげる・・・何とか進んだ・・・

時々ガスが飛び視界が開けるのだが、やはり晴には程遠い・・・ずっと下ばかり向いて進んでいた・・・ところでこの北鎌ルートは実力があればどんなルート取りでも可能なところに魅力があるという。確かにこの日我々の前に1パーティー(男性2名:北鎌のコルから少し進んだ天狗の腰かけでビバークしたようだ)がいたが、このパーティーは我々が巻道を選んだところを直登ルートを登っていたったが、その後すれ違っていないので我々のルートの方が早かったのだろう。ただし巻道をあえて進まない人もいるらしい。ロープを出したり懸垂の場面も出てくるようだが・・・

ヤマケイや岳人で紹介されていた、トラーバースルートに危ういハーケンとザイルがあったりすこしそれを手助けに使うが、1ヶ所岩に左手にフィックスすされた古びたザイルを持ち、右足を出して足を岩棚にかけようとした瞬間、その右足がはさまって抜けなくなってしまった!! ザイルに中ずりになる状態でニッチもサッチもゆかなくなってしまった!!びびりまくり!!手を放せば確実に10mくらいは落ち良くても重症・悪くて死亡!という状況!! ヤバイと焦りいろいろ考える・・・靴を脱いで脱出しようか?・・・だんだん手の力が抜けてきて身体が下がってきた・・・・このハーケンが抜けたら最後だ!!!  焦っていたら先に進んでいたM氏が降りてきてくれて、足を引っ張り出してくれた・・・助かった!! この時ばかりはもし、単独行だったらやばかった・・・と正直思った・・・・

その後も視界不良の中ただ足下を見ながら黙々と進む。どこがどこだかはっきりとわからないまま・・・これは一体どこら辺だ?北鎌平の手前には違いないが・・・我々はおおむね千丈沢側の巻ルートを選択した。濡れた岩稜での稜線通しに進むのはやや危険が大きいと判断したからだ。

この辺になると大きな岩クズの比較的安定した岩稜となる。とにかくスリップだけは要注意である。ほとんど下向いています。かなり疲れてきています。いつもの軽量速攻型登山の法則は今回はあえなく惨敗です・・・

またまた短いチムニーだがここは何とか乗り越えた上で待つM氏にしっかりと写真を撮られていた!!へっぴり腰になっているのが良くわかる・・・

そして後半のチムニー・・・このようなカ所が約3カ所・・濡れていなければ何とか乗り越えることは出来ると思うが、この時はそれなりにビビリながらの登下降だったでも後半は少しづつ要領というものもつかめてきて、乗り越える勢いが出てきたと思っている。

そして槍の頂上に・・・・いわゆる祠の後ろからひょこり飛び出して、一般ルートから来た登山者に拍手で迎えられ・・・といった紹介文が多いが、我々が最後の壁を上って山頂に手をかけているのだが、この時山頂には祠の前で6人の中高年グループがわいわいそれぞれのカメラで次から次にとりあっており我々が登ってきているのを見ていながら、場所を空けてくれない・・・最後の壁でへばりつく我等3人・・・半分涙目!1歩その6人グループは、なかなか祠の前を空けてくれなかった・・・これってどう?

ようやく山頂に飛びだした我々は何とか無事についたね・・と喜びながらザックをおろす。ほっと一安心。山頂に着いたという感動は少なくようやくここで終わった・・・と言った安堵の気持ちが強かった・・

3人で記念写真。左から滝谷クライマーM氏・若き獣医師さん・私

私はこれで都合5回目の槍ケ岳山頂です。北鎌尾根からの槍はさすがに登りごたえがあった。なかなか来れるものではない。いや、人生で最初で最後になる可能性が高い。願わくば今日が晴れていてくれたら・・・(また、晴の日を期待して単独で望んでいるかもしれない。今回ガスの北鎌がそうすように演出しているのか・・・だとしたらまた挑戦しに来い・・・ということですか?)

同行していただいた。獣医師さん・・・御迷惑をかけました。別々のパーティーではありましたが、お互いに存在自体が励みになる典型的なルートであった。晴と雨ではこんなにも気分が違うものである。最近悪天の時は山には行っていなかったのでかなり弱気になってしまった・・・単独であったら途中で進退窮まる状態になっていた可能性があった。やはり単独よりはパーティーの方がここ一番の安心感と勇気を享受しあえるのだな〜と感じた一日であった。

槍山頂からの下山編・・・

槍ケ岳山荘前で、北鎌から槍へ無事登頂を祝う・・・缶ビールで祝杯し、一息入れて、感慨深くこの行程を思い返す・・・とは言っても、のんきなことをしてはいられない。予定時間より約1時間遅れである。現在時刻は午後1時ちょうど!これから新穂高バスターミナルまで5時間未満で下らなければならない!M氏は大丈夫!だいじょうぶ!ダイジョウブ・・・とややトーンが下がってきた・・・我々2人はここで若き獣医師山とお別れ。今後のお互いの無事を祈って軽く会釈で別れる。彼はこの後、南岳まで縦走しテン泊後明日は大キレット越えで北穂から涸沢経由で下山とのことだ。ではまたいつかどこかで・・・・・
槍山荘の前を通過しテント場のジグザグ道を下降し飛騨乗越へ・・もうこのあたりからエネルギーが徐々に枯渇気味・・・わたしはビールの酔いも回ってきて、お腹が張ってきてペースダウン!!飛騨沢の広い斜面をエッチラホッチラ、よーろよろ・・・非常に調子が悪い。このペースじゃとても、新穂まで4時間強で降りるなんて不可能!やばいんじゃないの〜〜大岩のざくざくしたガレの飛騨沢が妙に足に重い・・・・帰りのことまで考えてなかったよ・・・スキーならまだしも、あるきのこのペースはかなりやばいんじゃない・・とにかく先に進むしかない。

千丈乗越分岐・・2時18分:まだまだ余裕??のM氏(後から聞いたところこの時点で、彼もかなり足に来ておりほとんど諦め状態だったとのこと。昔は困難じゃなかったんだけど〜・・・と意気消沈していたとか)

それでも頑張って下降します。槍平小屋:4時すでにタイムオーバー!!!もうこの先は・・・あわてても無理。

重い腰をあげてまた進む。藤木レリーフ前:4時50分

そして滝谷出合:M氏がかつて通い詰めた懐かしき滝谷・・・4時53分

そしてようやく白出し出合・・・5時47分。すでに周囲は暗くなってきている。もうここからどう頑張ってもバスに間に合わない。でも6時30分が最終だとしたら・・・・M氏に”ぼくが先に走ってみます。もし間に合ったら何とかバス止めときます!!”と勇んで、意を決して14kgのザックを背負って、白出し出合手前チビ谷から残り約5kmを走ることにした。本当にひたすら走った・・・間に小走り速足歩きを取り混ぜながら・・・疲れすぎていて足の感覚も無くなってきているが不思議なことに結構なスピードで走れてしまう・・・6時ごろには樹林は真っ暗で、ヘッデンつけてさらに走る。穂高平避難小屋の前で6時23分・・・完全なサンセット状態・・・

走ってはみたものの・・

そして穂高平小屋を過ぎ、最後の最後にどこでどう間違えたか新穂高ロープウェイから離れて左俣林道方向へ進んでしまい、わずかだがタイムロス。中崎山荘前通過。宿泊客が団欒している・・・中崎山荘前を通り最後の橋を渡って、バス停に着いたときは7時10分・・・真っ暗で誰もいない新穂。全てが終わった・・・

真っ暗な新穂高派出所前
この後どうする?バスはない・・と思っていたら一台の濃飛バスが入ってきた。まさかッと思い、近づいて運転手に窓越しに”これって終点?””ここで終わりだよ。明日の始発だよ・・”とむなしい回答・・・そうだよなこんな時間に出発するバスはないよな・・・・もう完全に諦めムードだが、最後の手段に打って出るか・・・タクシー・・・

村営食堂の軒にタクシーの電話番号が書いてあるのでそこにTELしてみる。”宝タクシー”・・・今新穂高なんだけど、迎車できる、行き先は・・・高山。いくらくらい?14500円くらいかな・・・ちなみに岐阜市内までだといくら?そうだねーー52500円。それに高速代の往復だね・・・(約6万位か〜〜)しょうがないよな・・・明日までに帰らないとな〜

”とりあえず迎えにきて!8時頃ね””わかった、近くの中崎山荘で風呂でも入って待ってらっしゃい””後の料金は運転手さんと相談してね”と言った感じで、交渉成立。そして真っ暗な新穂でM氏を待つこと約30分・・・M氏7時40分に到着。

”あ〜〜〜さすがにしんどかった。バス無いね〜””タクシー8時に交渉したよ””来てくれるって?””とりあえずよかったね・・・””風呂どうします。あと15分くらいあるけど・・””慌ただしいし止めとこうか”待つこと約15分でタクシー到着。少し値段お交渉してみるわ!とM氏・・・岐阜までいくら?普通は60000万位かな〜今5万しかないんだけど・・・う〜〜ん52500万かな。それと行き帰りの高速代に消費税ね。約57000円位だね。どう?”わかった、それでいいわ・・”

そしれザックをトランクに詰め込み我々は車中の人となる。腹減ったね?どこかコンビニでなんか買おうか・・・帰りのルートは運転手に最短時間でまかせ、裏道使って、神岡経由で清美インターまで1時間。この間コンビニで弁当を買って、タクシーの中で弁当をくらう私たち。こんな客いる?いるよ・・・以前に京都まで走ったことあるよ。7人のグループでジャンボタクシーで京都まで9万円で行ったよ。9万円?7人で割れば新幹線使うのとかわらんジャンか?そうだね・・・うんぬん・・・・・タクシーは快調に夜の高速を飛ばし、夜10時30分。新穂高から約2時間30分で岐阜駅着・・・結構早かった・・・駅前に置いた私のクルマに乗り換え、お代金57000円くらい・・・を払って無事一件落着・・・そしてM氏の自宅近くまで送り迎えに来た奥さんお車に乗り換え私も自宅に向かう・・・自宅着11時45分。これでようやく、北鎌尾根経由槍ケ岳山行無事終了。まさに悲劇と栄光のずっこけ山行であった・・・・まあ、命があればタクシー代なんてやすいものさ・・・と強がり。もっと体力があれば、ちゃんと時間どうりに下山できたはずなのにな〜〜いつもは自家用車使用の山行なので時間のことまで気にしたことが無かったのは確かだよな・・・

そしてその日の晩・・・・わたしは崖から滑落する夢で体中汗びっしょりとなってうなされて眠れず徹夜で翌日の仕事に向かった・・何もなかった様な顔をするのが少しつらかった・・

2005/09/18(日)-19(月)
北鎌より槍を目指せ・・・悲劇と栄光の北鎌尾根・・・終了

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